通りすがりの腐男子 物語は死で終わらない(トジツキハジメ)
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物語は死で終わらない(トジツキハジメ)
2010-11-12-Fri  CATEGORY: フロンティアワークス
タイトルは「物語は死で終わらない」なのにストーリーはいきなり
葬式のシーンから描かれるという、これもまたある意味シュールな始まりであります。

本来、人生においての終わりは「死」。
かの吸血鬼映画とて当人は元人間だったから、ということもあるのか
結末は「死」で終わることが多い。


一体自らがこの先、あと何年生きていられるかはわからない。
だからこそ生きてる間は精一杯に生きたいと願う。
なのにいざ死んでしまったとき、人はどうなるのか。
主人公はたった二十年でその幕を閉じてしまう。

一方、本当に大切なひとを亡くしてしまった時も人はどうなるのか。
残された人間はどう生きていくのか。


痛みも悲しみもいずれ時が癒してくれるとも言うけれど、
「想い」については例え思い出す瞬間は減ったとしても目に見えない部分での
脳の奥深くに根づいた記憶のようなものが時々、あっという間に時を過去に引き戻すことがある。


あの時、ああしていればよかった、こうしていればよかった、
と「たられば」を言っても仕方がないとわかっていても、
あるいはそこまで人は器用に頭を切り換えることができないのか、と
我が身の脆さを悲しく思いつつも、まだ自分にも「人らしく」ありたいと
思う気はあるのか、などと苦笑してしまいたくもなったり。


そこでふと、かの『摩利と新吾』でのあるシーンを思い出した。
確か、摩利がおばあさんから「願い続けていればきっと叶う」といった言葉を
かけられている。(記憶あいまい)

この部分について自分は他人とか世間がどうこう、ではなくて大事なことはいかに真っ直ぐに
自らが決めた信念を貫けるかどうかを問われたのではないのかと感じた。

例えすぐにはその想いが相手に届かなくても、願い続けていれば、きっと。

最初、記憶を残し続けるということは自分が相手をこれだけ想っていたという
証を残したいという意地も多少は含まれてるかもしれないと思っていた。

でも、「想う」という行為にそうした打算のようなものが混じった時点で
たぶん「想う」というものとはちょっと違うような気がしてきたのでこの点は
改めて書き直して今に至っています。


……さて、そうした自らが向き合いたくないこと、向き合わざるを得ないこと、
死んだらやっぱりそれら全てが水疱に帰してしまうのでしょうか。


「就職」や「結婚」や「退職」が人生の分岐点とするなら「死」とはいわば人生のゴール。

例えば険しい山頂にやっとの思いでたどり着いたら、ひとは達成感でいっぱいなるだろうけど
「死」というゴールにたどり着いたらどうなるんだろう。

死ぬ間際にはそれまでの過去が走馬燈のように甦ってくる、というけれど
その先の記憶ってどうなるんだろう。


この物語はそんな本来誰も知りえない「ひとの死」の後の部分を
作者独自の暖かみのある切り口で描かれている。



ひょっとすると自分もこの先に似たような生き方をするのかもしれないだろうけど、
叶う叶わないということとは別に「思いを貫く」という信念は忘れないでいたい。

そうすればきっと、何かがみえてくると思うから。

(10.12.08一部加筆修正)
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